Trash:#050-#041
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今朝の夢
見つけようとしても
他人をだますことのできない人が
誰かとサシで飲むのは楽しい
自分が
筒井康隆さんの
人と別れた後に
良い天気の日に
おいてかないで
ある詩集の中で
今朝の夢
電車の中に 昭和天皇がいた
空席があるのに
吊り革にもつかまらないで 立ったまま
自分が死んだことを
周りの人たちに知らせていた
悲しげな顔をして ゆれていた
わたしはそれを
5mほど離れた所から じっと見ている
わたしの隣には
小学生5、6年生のときの同級生で
手がとてもキレイだった男の子が座っている
顔は見えないけれど
昔と変わらない
キレイなままの手が見えている
そういう夢だった
見つけようとしても
見のがしているチャンスが
ごろごろしている
見つけようとしても
見えないのだ
見える人にしか
見えないのだ
もしかしたら
見ようとしていないから
見えないのかもしれないけど
他人をだますことのできない人が
案外
自分をだますのは 平気だったりする
誰かとサシで飲むのは楽しい
相手の普段とは違う一面が見れるから
誰かとサシで飲むのはこわい
自分の普段とは違う一面も見えるから
自分が
脇役にすぎないことを
素直に認めたら
きっと
もう少し 楽になるだろう
筒井康隆さんの
『旅のラゴス』より
「旅の目的は何であってもよかったのかもしれない。
たとえ死であってもだ。人生と同じようにね」
わたしは 何のために生きているんだろう
と考えさせられます。
死ぬ瞬間になったら それが分かるでしょうか。
人と別れた後に
ふと
笑顔から
真顔に戻る
それがきっと
本当の顔だ
良い天気の日に
じっと 爪を見つめて
色のつぶつぶを見るのが楽しい
って 友達に言ったら
「ストレスでも たまってるの?」
じっと爪なんか見るのは
わたしだけなのでしょうか?
おいてかないで
いっしょに行動したいけど
どう動けばいいか わからない
おいてかないで
周りの動きに ついていけない
おいてかないで
わたしを 一人にしないで
マイペースを守ることが
一番楽だと思っていた
周りが一斉に動き出して
マイペースを守ることが
時として つらくなることが分かった
みんなと同じように生きなくては
という
不安
みんなと同じ生き方はいやだ
という
意地
ある詩集の中で
『大事なことは足跡でなく むしろ足そのもの』
というフレーズがありました。
誰でも皆 いつかは死んでしまうことを考えると
自分にとっては 確かに
「足そのもの」の方が 大事かもしれませんね。
でも 周りの人間にしてみれば
死んで焼かれて骨になってしまった
「足そのもの」なんかよりも
思い出や痕跡としての「足跡」の方が
大事なのではないか と思うのです。
死んでしまった人を思い出す時 わたしたちは
決して「骨」を思い出すわけではないのですから。
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